展評「個展・杉本光俊の場合 刹那」

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刹那
プライベートで関わった展覧会については、
展評(と言うか作品解説?)を書くことで
作家さんへのお礼としたいと思います。

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「個展・杉本光俊の場合 刹那」
2009年6月30日(火)〜7月10日(木)
#dilettante cafe(静岡県三島市)

本展は、三島でweb・グラフィックデザイナー、
フォトグラファーとして活動する氏の、
絵画作品を中心とした初個展である。

個展タイトルの「刹那」は、
仏教用語で、最も短い時間の単位であるが、
これは実は作者との個展についての打ち合わせの際に、
筆者が氏の作品世界からイメージしたいくつかの言葉のひとつである。

現在「刹那的」と言うと、「その場限りの、永続性のない」と
マイナスイメージで使われることが多いのだが、
筆者が氏の作品から想起した「刹那」は、
本来的な意味の「非常に短い時間」と言う文脈である。

今回が初個展であるが故、筆者もテーマ設定の時点で
作者の作品をそれほど多く経眼していた訳ではない。
偶然ではあるが、作家本人との面識を持つ前の、
2008年のトーキョーワンダーウォールでの入選作が作品との出会いであった。
会場には無名の若い作家(の卵)の多すぎるほどの作品が並んでいたため、
同郷の作家であることの意識は全くなかったが、
「身近な風景をシニカルにとらえる」か「若い感情を力任せにぶつける」
都会的でどこか殺伐としたコンテンポラリーな作品の中で
時間の流れが違うかのような詩情的なテーマのおおらかな作は印象に残っていた。

作品に出会った約半年後に作家に出会うことになるが、
本職のデザイン、写真の仕事を拝見する中で、
テクニック以上に、代わりのいない、ある意味特殊な才能から、
クライアントに信頼を置かれていることが垣間見えた。

それが、瞬間を切り取る才能である。

非常に感覚的で、ここで文章にすることが少しためらわれるが、
氏の作品(デザイン・写真・文章等)は、
クライアントや被写体が予期していないような、本質的で美しい瞬間を
切り取ることに成功している。

このような印象から筆者が出した言葉が「刹那」である。

前提が長くなったが、ここから本展覧会の出品作を見ていこうと思う。

【刹那の具体的イメージ】
01刹那.JPG
「刹那」112.0×145.5 キャンバス・ミクストメディア

作品は基本的にキャンバスに和紙を貼り、
油彩(オイルバー)で描かれているのだが、
よく見ると細かな線のエスキースがテクスチャとして使われいる。
本人によれば「この線の1本1本が『刹那』であり、一瞬一瞬で人の気持ちは変わり続けている」と言うことを表現している。
この線については特設サイトで、より明快に表現されているので、ぜひご覧いただきたい。
太い線で柔らかく描かれた、夢想的な人物がメインモチーフである中で、
非常に鋭利でグラフィカルなこの線のエスキースが、
作品世界に一種の現実性を与えている。

【数字】
09setsuna.JPG
「setsuna」 33.3×24.2 キャンバス・ミクストメディア
無数の線と同様、数字の羅列がテクスチャのように描かれた作品がある。
数字は作者にとって非常に重要な要素であり、
過去の作品にも数字だけを描いたものが存在する。
「1刹那は1/75秒である」と言う事実は、展覧会を組み立てていく中で
合い言葉の様に我々に具体的な方向性を与えてくれた。

【群像と重なる人物像】
これまで拝見してきた作品と同様に、
今回も人物を描いた作品が多いのだが、
特に群像作品が多いことが印象的であった。
02sin.JPG 04sss.JPG
「sin」70.0×107 キャンバス・ミクストメディア/「sss」53.0×45.5 キャンバス・ミクストメディア

18untitled.JPG 17neeno.JPG
「untitled」33.0×33.0 キャンバス・ミクストメディア/「neeno」40.0×20.0 キャンバス・ミクストメディア

全身像が並ぶ上記のような作と
顔が重なる下記のタイプの作があるが、
どちらも身近な人物(おそらく家族)への親愛の情に溢れており、
見る者の感情が非常に入り込みやすく、素直な鑑賞を可能にしていた。

筆者が初めて氏の作品を見たときに感じた「違う時間の流れ」は
都会(東京)と田舎(三島)の時間の流れの違いである。

東京に近い、この伊豆地方の人口に占める職業作家の割合は、全国屈指と思われる。
昨今東京のカルチャーシーンで盛んに叫ばれる
「生活にアートを」という流れは
人口が少ない分、作家との距離が近いこの地域では
一部ではあるが、自然な形で存在している。

「画家になるためには都会の学校で勉強しなければならない」

需要と供給の一致さえあれば
この言葉が必ずしも真ではないことが分かる。
(もちろん、技術やキャリアの問題はあるが)

でも東京でも展覧会やりたいですね〜

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このページは、nmakiが2009年6月30日 20:14に書いたブログ記事です。

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