朝からうっかりごはん茶碗を割りました。
この茶碗を買ったのは日記によれば2006年3月9日ですので
3年半近くお世話になりました。
粉々にはならなかったので、別の生き方を探してあげようと思います。
昨日工芸の本を読んでいて、思ったこと。
需要と供給について。
陶芸ってのは、クラフトの中で一番やっている人の人口が多いそうです。
で、需要の側に立つと、
工芸作品(製品)をいい形で使うって言うことは
「よいものを長く」と考えられているわけです。
特に陶磁器なんて、長く使おうと思えば何百年も使えるわけだし。
で、私に必要なごはん茶碗は3年半に1個だけど、
作られている数は需要よりずっと多いと思うんですね。
で、新しいごはん茶碗を探さなきゃな、と思っていて
毎日使うものだから、いいものに出会えるまで妥協しない様にしようとか決意するも、
日本人の性で、「自分のごはん茶碗がない」って状態が
ものすごく不安であったりして、
なんでもいいから一刻も早く欲しかったりもする訳です。
(箸と茶碗って自分のがないと不安になりませんか?)
この辺の矛盾のような矛盾じゃないような
使うものだからこそのなんだかアレな感じを
きっと作家さんたちも抱えているんだろうな、と思った今日でした。
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